ろくしきボックスの無意識な日記

久津葉六識がいろいろと思ったこととか報告を書いていく。

表現方法が合わなかったということで。

 専門学校に通っていたころは、漫画の描き方を習っていたのだけれど、しかし僕はそれを真面目に受けようとはしなかった。
 単に面倒くさいという部分もあったし、同じキャラクターの絵を何度も何度も描くこと自体が、僕の性に合わなかったという意識があった。
 それを自覚できたのは卒業してから、小説を書くようになってからのことだったのだけど、それに気付いた時には二十代の半ばになって統合失調症になってしまっていた。

 別にそれが悪いことということでもないだろうけれど、もっと早く気付いていれば違う道があったんじゃないのかと思う。
 僕はストーリーが描きたいだけで、「漫画」を描きたいわけではなかったんだなあ、と思うことに何の意味があるのか。
 自分に合っている表現を探すことに時間を割けなかったことは素直に後悔するしかないし、今更なことなので論じても仕方ない。

 結果、ライトノベルに流れていったのは自然な流れだろうとは思うけれど、それでも他の道を捨てきれない甘さもまだ、自分の内部に燻っている。まあ、いくら何でも複数のことを同時に会得するような無茶は、今の僕にはできないのは自明なのだけれど。
 イラストに手を出して、上手くなれないで地団駄踏んでいる状態で何を出来るというのか。
 創作することそのものは楽しいし苦しいことでもあるけれど、その奥にある自分を固めていく作業というのは揺らいでいる自分を確定させるようで割と面白いのだ。

 やっぱり、あの時にイラストの分野を選んでいた方が良かったのだろうか? もうそんなことを考えても仕方ないけれど。それでも僕の表現の一つとして存在している以上、諦めたり捨てたりする理由もなく、自分の在りようとして続けていくことにしている。
 意味のないことは存在しないし、何かは何かのためにある、というのが僕の考え方なので。
 だからやっぱり、諦めたくないなあ。