ろくしきボックスの無意識な日記

久津葉六識がいろいろと思ったこととか報告を書いていく。

目的こそが目的って話。

自分がやっていることは創作に関わることだけれど、その内容は時期によってコロコロと変わっている。僕の中ではそれが一番面白いし、飽き性であることもその要因だと思う。

けれど、ついさっき考えた時に、僕は「作ることそのものを目的にしている」んだなあ、となんとなく思ったんだよね。
自己満足でも、作ることは楽しいはずだけれど、実際には作っている最中は苦しいことが殆どだ、けれど、その先の完成品を眺めている時に「楽しいな」と思えるのが殆どなのだ。

目的こそが目的という、自己完結した世界。
それが影無六識という存在の内部なのだと感じ始めている。

一応は新人賞に応募とかしてプロ作家を目指しているけれど、最終的にそうなればいいかなってだけで、別になれなくてもそれはそれで構いやしないのだ。
いや、収入は必要だけれどね? 現在がニート状態なので。


ただ、その為の手段や形態にはこだわる必要がないというだけのことで、正直言えば比較的どうでもいいところでもあるのだ。


昔、楽しいことだけをして生きるってことを「刹那主義」と言っていた人が居たのだけれど、僕は賛同できなかったというか、「違うよな」と直感で思ったのを覚えている。
楽しいことをして生きるって言っても、その途中にある苦しさを無視した台詞じゃないのかな、と思うからだ。
それは刹那主義ではなくて快楽主義ではないのかな?

ただ楽しいだけの人生なんてないことは学生の時にとうに解っていたから、そんな下らない説教よりも社会に出てからの生き方くらいは教えて欲しかったなあ、と思うんだよねえ。
なんで学校教育はその辺りをやらないんだろう?


逸れた話は戻して。


二十八年生きてきて、目的を持って生きることが解らなかったけれど。
実際は目的こそが目的って感じで、その先にあるのはオプションなのかなあ、と思い始めてきたんだよね。
できないことに対して焦る必要はないし、自己満足で終わってしまったとしても、満足できたならそれでいいじゃないか、そういう気楽な考え方って重要だと思う。

まあ、僕は根っこのところで億劫がりなくせに理屈っぽい、不可思議なところがあるから、なんちゅーかあらゆるところがちぐはぐにも思えるんだよね。人格的に。
だから統合失調症なのかなあ?
理由はよくわからないけれど、結局生きるのは何も無くとも可能ではあるけれど、満足できるものがないと張りがないよなあ、って話だ。


もともと空っぽだった僕がいうのもおかしな話だけれど。
やっぱり本を読むのって大事だよなあ、と感じました。
初めてちゃんと小説を読んで面白いと感じた「戯言シリーズ西尾維新講談社)」の影響を受けてこの性格になったようにも思えるけれど、気のせいだよね、多分。


物語を作るのも目的だし、影響を受けた作品に追いすがるのも目的だし、その結果はどうなってもまあ気にはしないくらいでいいんだよ。

だから、目的が目的。
手段がその間にあるだけ。