ろくしきボックスの無意識な日記

久津葉六識がいろいろと思ったこととか報告を書いていく。

思考回路。

僕はこの世界のすべてを数的に捉えているように思う時があるんです。

五感で捉えるもの、意識の中のもの、外界を構成するすべての要素、時間的なもの、因果や運命、宇宙の仕組みそのもの、とにかく何もかもをどこか「歯車を噛み合わせてみたら宇宙になってしまった」のようにできているのではと疑うことがしばしばあるのです。

その歯車は一つや二つ、あるいはもっと多数のものが欠けてしまっても成立する、きわめて曖曖昧なルールに従って、あるいは従わずに動き続けるファジーなものでしかなくとも、ただそこに在るだけで回り続ける複雑怪奇な異常ともいえる数式。

あるいはプログラム。

同義だろうか。

その中において自分一人が空転しているような頼りない虚無感、そんなものが錯覚でしかないとしても、自分という意味のなさを自覚しながら生きていく空虚な感覚は、今のところ拭えていない。

その感覚(クオリア)さえも単なる電気信号のパターンでしかなくて、その現実にさえ辟易もしない壊れ具合は、やはり世界の中では普通の部類に入ってしまうほどにありふれた考えなんじゃないのか。

確率的にそういうものでしかないのでは、そう考えて堂々巡りになってしまうのが最近の僕なのです。

 

虚無感。

それが根源的なものであるのなら、昔から感じていた「どこか醒めている」自分の在り様にも説明はある程度つくんじゃないか、と考えてみたりするのだけど。

書きたい衝動、というものが僕にはある。

けれど、何を書きたいのか、という考えは僕の中には無い。

表現したいもの、事柄、心情、定理、感覚、教訓、そんなものが僕の中には何一つとして存在していない。

ある程度それを仮定して書くことはできる。表現の方法も手段も知ってはいる。

でも、僕の精神には決してそれは馴染むものではないのだ。

好きとか嫌いとかいう感覚も曖昧で、実際にはほとんどすべてのものが自分にとってはどうでもいいものでしかない。

僕が頻繁に周囲の状況を窺っているのは、単に自分に害をなすものが来ないようにという恐怖感から来るものなのだが、その恐怖さえ、どこから来ているのかもよくわからない。

確かに死にたくはない。

生きていたいと思う本能はある。

それでも必死になって生きる理由がまるで見つからないのだ。

 

全く。

何もしないで生きていきたいわけではないのだけれど、自己満足だけで生きていけるくせにその満足が来ないという底なしの容器。文字通りに壊れているのだ。

いや、壊れているというよりは初めから欠けているような。

感覚したことがないから判らないけれど。それが普通であるという感覚があるのならば。

虚ろな生き方で何も得られないのだろうか。

ならば僕は何をすればいいのだろうか。

クリエイターにもアーティストにもなれやしない自分の資質のなさを自覚しながらそれでも指を動かし続ける憧憬者未満の書き手の中に、何を見出せばいいのか。

…………実は成功しているクリエイターやアーティスト、そういうものに対する嫉妬なんてものは一つも持ち合わせてはいない。その人は関わりがないと切っているか、遠巻きに見ているだけなのだ。

熱くなれない、というかあまり心が揺らがないのは安定ではなく。

人生を諦めきった自分の心が半ば死にかけているからなのではないかと思い至っている。

統合失調症であるそれ以前に。

空っぽであることを自覚していることを誰にも言ってはいないのだが。

病院で感情が薄いと言われていたことがあるけれど、それこそが僕の本質的な姿なんじゃあないのか。自閉症的な在りようともいわれたことはあるが、確かに僕の興味は内向きに閉じている。

奥底が見えないのはなぜかも知らないけれど。

 

僕は小学生の頃、家でクラスの人の話をしていたらしい。

正直言えば憶えていない。

最初から信用していない母親の言葉を鵜呑みにするわけもないし、向こうの錯覚だろうと思っている。

そもそも僕は他人にあまり興味がない。

無い、というと言いすぎかもしれないけれど、そこまで深入りするような人格ではなかったし、現在でもそうであると言えるだろう。

近付いてくる人には普通に接するし、よほどでなければ拒否もしないだろうけれど、それでも相手の核心部分には触れないように、それ以前に自分から近寄ったりしないでいた。

距離を置いていた。

パーソナルスペースが異様に広いのだ。

先述したとおりに、僕は周囲の人間を遠くから眺めているだけの存在だ。

だから、大半の人の意識には入っていないだろう。

一人で過ごすことに慣れきっていて、それを苦痛とも思わないのは、そういう理由があるからだが、別に一人でもいいというだけで、独りが良いとは一言も言ったことはないのだけど。

容易に自分を開けっぴろげにしないからこそ、誰にも理解されないのはわかっている。

でも、理解されようと思っていないことは確かなことなのかどうか、よくわからない。

少なくとも、僕自身は隠したいことなどあまりない。

万引きで捕まったことがあるとかそんなもんだ、隠してないな。恥だけど。

それくらいには隠したいことがないのでは、なんとなく辻褄が合わない。

恥とか、そういうものではなく、もっと根本的な何かがあるのだけれど、今の自分の思考能力では理解はできない。

ただ、現時点で必要以上に人を好く理由も嫌う理由もないのは確かで、だから近づいたり離れたりもしないのだろうとは思うのだ。

 

 

………………………。

そんな風に、自分の負の部分や根源的な部分を振り返ってみた。

最近はあまり面白くない生活が続いているので、こういう部分を直視してしまいがちなのである。

悪い癖だが、しかしどこかで向き合うのも一興だろうとこうして書いてみたのだ。

飾り気ない文を書いてしまうのは癖だけど、それもこういう時はいいのかもしれない。

人間語ってなんだ?

昔のことを思い出すことがあって、そのことが印象にあるんだけど。

何というか、母親と話していて意味の通らないことを言ったらしいときに(僕の中ではちゃんとロジックは成立しているが)、「人間語がわからないのか」みたいなキレ方をされることが時折あったんだよね。

「人間語……?」

本当に意味がわからない、それが。

僕が理解できるの日本語だけだからさ。

そういう時って「自分の言っていることがわからないのかな」でいいはずなのに、無駄に主語をでかくして意味の分からないことを言う人っているんだよね。

そっちの方が意味が通っていないっていうのに。

 

その時は内心で「アホだなこいつw」で終わっていたけれど(学生だったからね)、そこら辺を問い質してもよかったように思う。まあ、親に向かって取る態度でもないけれど。

はっきり言って、母親に対してあまりいい感情も印象も持っていないので、今更どうでもいいんだけど。自分が大人になって相対したなら、充分に思考がガキ過ぎると感じてしまうんだよね。

 

人としては毒にも薬にもならないタイプ。

まあ僕もだけど。

 

こういうことを書いておかないと忘れてしまうし、自分に対する戒めにしておきたいのです。こういう人にはなりたくないから。

 

新人賞に落選したのでAmazonにぶん投げました。

まあタイトルの通りなんだけど。

電撃大賞の一次選考結果が発表され、見当たらなかったのを確認した直後に改稿したバージョンの「蒼空の終焉線」をkindleストアに置きました。

 

まあ、使い回していた時点で望みはほぼ無かったので、投稿した直後に改稿版を書き始めていたんですけれど、その分量が電撃大賞のフォーマットで224枚になったものだから、これ以上は投稿できないと判断したまでです。

電撃大賞の上限は130枚)

 

というか、ストーリー全体を大きく見直して主人公とヒロインの関係性を重視する方向に書き直しているので、多分投稿版と違うものになっているはず。

まあ初稿を公開するつもりはありませんが。

 

とりあえず時間が経てばエブリスタにも投稿する予定ではあるのです。

一次落選じゃあ、選評も貰えないからなあ、しょうがないけど。

 

kindle版はUnlimitedなら無料で読めるので、読んでみてほしいのです。

基本的な売価は300円に設定されているのは仕方ないのです。ロイヤリティ70%にするには250円以上じゃないと駄目らしいから。

 

「蒼空の終焉線:蒼の少年と風の少女(Endline the Sky:Mighty blue and Sylpheed)」

https://www.amazon.co.jp/dp/B08FDGCXCF

こんなタイトルで本当に大丈夫なのかは知らないけど、まあ格好つけたかっただけなので許してください。

英語タイトルは適当な上に日本語版(Amazon.co.jp)では表示されないので意味のあることかはよくわかりません。

 

いいけどね。

とりあえず次の応募作を書こうかと思うんだけど、暫く気力が戻りそうにありません……。落ち込むのは仕方ない。そこまで図太いキャラじゃねえもの。

現代異世界ファンタジー。

調べてもそういうジャンルが見当たらない。

まあ当たり前か。それは単なる現代ファンタジーだものな。

 

僕の場合は、最初から現代風の異世界という風に描いているので、こういう分類になってもいい気がする。

それに現代風とか言っても、その世界観で展開されるのは「リバーシ」「落陽」「影守」(すべてがほぼプロット段階)とかその辺りだ。

その世界の地球の歴史で言えば「第五世界」に相当する時代で、そこだけが現代に似ているというだけのことなんだけど。

 

世界観がブレーンワールド論を採用して、並行する宇宙であって。

普通の人間には関われない「可能性としての宇宙」が描かれている。SFなようでファンタジーでしかないその在りようは、でもifの世界とも少し違う。

現実とは全く違う物理法則で回っている、存在するかもしれない干渉不可な世界が僕の描く世界の一端だろう。

 

まあ、そんなこと言ってしまうと、フィクションのほぼすべてがそんなもんだと思うけど。

ただ、この現実とは繋がっていないというだけのことで。

 

十年以上かけても、その世界の全部を描けているとは言いがたいのだが。

そういやあ、中学生の時に考え始めた「それ」も鏡で異世界と繋がっている設定だったから、変わりない考え方ということか。

 

リバーシ砂の惑星は同一の世界線上に存在しているストーリーなんだけど、カテゴリはやっぱり別ものなんだよね。まあ、デジタルデバイスは普通に存在しているけど。そんなファンタジーもありでしょう?

僕は何を書いているのだろう?

小説「砂の惑星」を書き終えて、エブリスタで公開している。

少しずつ公開するのに吐き気を覚えたので一気に全部公開してしまった。

まあ、それは別にいいんだけど。自分が何を書いているのかよく判らないでいるのだ。

 

そもそも、砂の惑星は「終末シリーズ」と名付けて世界の終わりを書いてみようかと書き始めた作品だったはずなのに、案外世界が終わっていないし、主人公サイドがほぼ人間じゃないし、最初から設定詰め込みすぎだし、まだ公開していない「蒼空」のネタバレを含んでいるし、大体の作品と同じように別の要素を盛り込んでしまっているし。

 

読み返すと何だこれはとなってしまう。

こんなんで成立するのかと思うんだよね。

まあネタバレに関しては作品の性質上仕方ないことだけれど。第十世界(最終世界)がそれまでの世界の総まとめのような在りようだからねえ。

むしろ、それを描くことで他の作品を書きやすくなるのかもしれない。流石に構想全てをカタチに出来るとは思えないけれど。

 

とりあえずは、次の作品のプロット、と言いたいところだけど。

七月からは作曲を中心にするって決めちゃったからなあ。ペースはかなり落ちてしまうだろう。しゃあねえ。

 

https://estar.jp/novels/25621985

 

 

それと、電撃の発表が一カ月遅れるようだね。遅れたら遅れた分だけ困るだけだけど、この状況下では仕方ないよね、というだけだ。

多分通らないであろう蒼空の公開が遅れるけれど。

二稿が既に完成しているのを持て余しているんだよねえ……。こっちは応募できない分量なので、これは待つしかないのだ。

十年間で百作品作ったっていう話。

十八の時から数えて、十年。正確には十一年かけて音楽作品を百作品作ったわけだ。

最初の時は携帯電話のアプリでちまちま作った、一分くらいの短い着メロだけれど、今でもPCの中に仕舞い込んである。(自作フォルダに入っている)

それからDomino、ACID、Studio Oneとソフトを変えながら作り続けていて、最近ではBOOTHで商品として置いてみたりもしているわけだから、続くものだなあと感心しているのだ。

 

飽きないんだよね、間を置いているからしばらく作っていない時期というのもある以上、ペースで言えば六年間で九十曲作ったことになるのだけど。

それでもやめようとは思わない。

収益とか結構度外視しているから、あまり意味の無い行動かもしれないけれど。

 

まあ、しかし成長しないというかむしろ退化しているような気さえする。それでも何か良いものができないかと足掻いているのです。

色々試しているし、どんなことをすればいいのかも考えたり調べたり。

最終的には自分の好みのものにしかならないんだけれど。そんなもんだからジャンルも定まらないし、バラバラなものが出来上がるのだ。

 

今度は半年で二百作品でも目指そうかな……。

YouTubeの別チャンネルも作りたいし、どうせ止められるわけもないし、だったら公開していこうと思うんだ。

星は好きだけど星座が嫌い。

実際に外に出て夜空を見上げると何故か怖くなる。

言葉にしづらい本能的な恐怖が湧き上がってきて見続けていられないのだ。何でだろうかと考えてもよくは解らないけれど、自分の小ささとかじゃなくて、空の大きさとかじゃなくて、もっと別の何かがあるような気がする。

 

恒星の在り方とかは調べていくと面白いし、天体そのものは好きなんだけどな。

星と星を結んで図形にする考え方が駄目なのかもしれなかった。

結局、そこに意味付けをしてしまうともっと別のモノを深く読んでしまう癖が影響しているようにも思えるけれど、どうなんだろう。

カタチのあるものに命を見出してしまう、無生物に魂を感じるアニミズム的な考え方かな、それとも架空のものに人格性格を見出すクリエイター的な考え方か、それとも統合失調症の妄想癖の一部なのか。

どれだったにせよ、本能的に怖いと感じてしまう以上は実際に見ることはできないなあ。

小学生の頃は星座の本とかよく読んでいたけれど。

 

星というか、作品の中では星系という考え方を使っていたりするけれど、実は作中で星座のように無意味に形を見出すようなことはほとんどやっていない。

本人が嫌いなことをキャラクターにやらせることは難しいということでもなく。

以前エブリスタで書いていた作品では星そのものを描写することはあったので、キャラと自分は完全に切り分けているはず。

 

星座とか判らなくなるほどに沢山の星が見えるようならば苦労はなかっただろうし、その方が良いんだけど。そういうのって写真でしか見られないからなあ。

星座とか知らない状態で見ている空には何も思わないから、やっぱり星座が嫌いってことになるのかな。