思考することが増えてきたのはいつだろう。

恐らく統合失調症と診断されてからの七年間の方が色々なことを考えていると、自分では思うんだ。

それまでの僕があまりに幼稚すぎたのだろう、それとも人生そのものを楽観的に捉えすぎていたのか、目の前の事象に対してさえ、思うことが無かった。

記憶の中にある行動の記録をなぞり直しても、そこに自身の思考による行動があまりに少ないことに気付いた。

 

要するに主体性が無かったと考えられるんだね。

 

明確に自分の意思を行動基準の上位に持ってこれたのは、統合失調症になって暇を持て余したあたりからだった。そのころには本を読んだりして、漸くそれなりの思考に耐えうる知識量を身に着けていたのだ。

 

高校一年の頃、ある時点でアンケートを取られたことがある。そこに書かれた質問の一つに「どこへ行きたい」というものがあって、僕は意味が解らず「どこへでも」という謎の回答をしたんだよね。

当然怒られた。どうやらその質問、進路について訊いていたらしく、進学先の希望を求めていたのがその時に判った。

正直なんも考えずに書いていたし、その頃は進路について明確なビジョンなんてものが無かったものだから、めんどくせーなーとしか思わなかった。

後から考えれば質問の仕方が悪いことに気付いたんだけど、あのハゲはそこに気付かなかったんだろう。今言ってもしゃあないけど。

最初から「希望する進路は」って書いとけクソが、そう思ってもどうせその時の僕にはそれに対する回答なんてものは持ち合わせてなかったんだけどさ。

 

僕は割と場当たり的に現実に対処するものだから、そのままでいたらジリ貧になっていつか破綻することは目に見えていたんだ。

クリエイターを目指すと考えても、その時は曖昧で茫洋とした将来が考えられずになんとなーく絵を描いてなんとなーく遊んでいただけだから、結果誰にも理解しえない誰かでしかない。

 

思考すること自体が自分自身の証明である。

 

使い古された言葉を実感したのは、結果大人と呼ばれる年齢になってからなんだね。

考えることが多いのはあったけれど、それをカタチにしようとしたのが「小説」という形態で作品を考え始めたころだったんだよね。まあそれ以前の思考は明確なストーリーのイメージが無いただの空想だから、それこそ考えて終わりなジャンクパーツのような思考の欠片でしかなく。

統合された作品としての構想を練り始めたのは専門学校の終わりごろ、エブリスタに作品を投稿し始めた辺りだった。

 

正直コミュ障の僕に普通の環境で働くことが難しかったから、一人で完結する同人作家というのは向いているのかとも思っていたけど、そうもいかないのはまあお約束だね。

最初、自分では対人恐怖症だと思っていたのだけれど、親に話したら一笑に付された。「最悪だなおまえ」本気でそう思った。そうでないと言い切るのなら、一体僕の何を見ていたんだと詰りたい。

面倒だからしないけど。うちの母親って認知バイアスかかってるし、言うだけ無駄かな。僕からしても言動がやや異常だし。

 

例を挙げると、実家に猫がいたけど、その猫をボックスに閉じ込めて放置して、小便漏らしてしまうのを叱るとかいう頭の悪い行動さらすんだ。わけわからん。

他にも「生まれて一年の猫は一歳の人間の子供と同じ」とか意味不明としか言えない持論を展開したこともあったっけ。ちょっと頭の程度を疑うよ。

知識不足って怖いねー。何のためにPC持ってんだよアホか。

 

そういうことを考え始めたのも、地元に帰ってきてからなんよなー。

いろんな意味でポンコツな僕が出来ることはもう限られているから、そこを目指すしかないのよね。考えた結果、そんな風な結論に至ったわけで。

 

 

目標は、「なるべく早いうちにプロ作家になる」かな。

こうやって追い込んだ方が良い気がするから、書いてしまうよ。

 

 

 

 

個人サークル「ろくしきボックス」を立ち上げたばっかなんだけどなあ……。

Kindleで小説販売したので。

一昨日にAmazonKindle本ストアにて自作小説「レプリカント」を販売開始させていただきました。

 

アップロードしたのが午前三時頃だったけれど、ストアに並んだのがその日の昼頃だってのが驚きだったよ。もっとかかるかと思ってたからね。

 

分量はおよそ八万文字。ジャンルはライトノベル式神を扱う術師が主人公です。

 

やっとここに来れたなあと感じていますが、しかしこれは単に始まりに過ぎないことはわかっているので、これからがんばるよー。

 

サークル「ろくしきボックス」として動いていこうと思っているので、楽しみ。

 

というかもう次の話を書きたくてウズウズしているんだけどね。

動画とか作ってみて。

せっかく環境があるのだから、試してみないと勿体ないよね。と軽くYouTubeで動画を投稿してみたりする。

 

もちろんのこと初心者なので、あまり凝った編集はできないのだから、まあシンプルにしたものを投げている。

 

音楽とお絵描きを中心にしようかと考えていて、どちらもこれから増やしていきたい。

しかしなあ、動画編集ソフトが使いにくい。冗長な動画が嫌いなので、イラストの動画は三分くらいに縮めるのだけど、ソフトに倍速再生は無く、動画そのものをストレッチする機能だ。

この機能、最大で再生時間を25%まで縮められるけれど、ドローイングの撮影時間が長いと一時間ほどになるので、それを三分まで縮めるなら複数回書き出さないといけないのだ。

 

 

面倒くせえ。

まあ、自分で選んで買ったんだから、仕方ないのかな。

楽しいけどね、動画作るの。

可能性と限界。

イラストを描くことに関して、自分の能力がほぼ頭打ちになったような気がしてきた。これ以上は画風の変化があっても、根本的に画力は改善できないかもしれないと思い始めているのだ。

 

そもそもが平均より低い位置から始めているのだから、頂点というものも低いのだろう。限界点を見極めることができたと言えるのかもしれない。

本当に絵のうまい人なんてものはそこいらじゅうに腐るほど溢れている。僕より年齢の低い人で巧い人はいくらでも見つけられる。

 

じゃあその中で腐らずに何ができるのかを考えなくてはならないだろう。

所謂「戦略」というものか。

 

能力そのものの伸びが鈍くなってしまっているなら、別の能力を伸ばせばいい。もう若いとは言えない年齢なのだから、限界を冷静に理解することが肝要だろう。

スランプか限界かは感覚で判る。

 

学生の頃は今より未熟だったのは当然だけれども、卒業した後も実際のところ画力自体は伸び続けていたのだ。学生期のイラストと比べればそれは瞭然だ。ただ、それは技術の熟達を意味しないことも知っている。

 

根本の能力と付随する技術の差が明らかにズレているのが自身の作品に漂う安っぽさの原因になっているように思えるのだ。

 

イラストは能力でも技術でもなく技能だ。両方が無ければ成立しない。それがもう伸びないのであれば、別の道を選ぶしかない。

もともと漫画の描き方を習っていたこともあり、イラストといっても一枚絵は苦手だ。独学で進めている小説の要素が混ざり、コマ割りをした絵になることが多くなってきている。

 

元々がストーリーありきで書かれることが多い。最初からそれが前提条件だと自覚している。つまり、設定を裏に作るために一枚では意味の伝わらない絵であることが多いのだろう。

 

漫画を描けよ、と思われるだろうか。しかし、それさえ僕には不可能だったのだが。フィールドを小説に移したのも、自分の描きたいことを最大限自由に描くためのことだから、それ以上にうってつけのメディアがあるのならそっちに移るだろう。

 

アイディア。自分の中に渦巻く混沌から何かを掬い上げればそれは何かの形をとっている。それを最適化することを考えることが多くなった。それさえも自身の能力を最適化するプロセスなのだ。

 

限界を見てしまった以上、そこから派生する能力を伸ばせばいい。ただそれだけのことで、天才といわれる人間たちができる一点突破は凡人にはできないのだから、そういうものを分けて考えるのが当たり前ではないだろうか。

 

無限の可能性、才能の限界。どちらも僕にとっては残酷だ。

 

結果、器用貧乏だからね。

楽しいから止めないんだけれど、それでも向上心は人並みにはある筈だ。

空っぽな人格か、それとも。

人格、僕の中にそんなものがどんな風に存在しているのかわからずに生きていた。

別に趣味嗜好が無かったわけではないし、今は基本的に創作をしたいという確固たる意志を持って動いている以上、今においては大して意味をなさない思考なんだけれども。

 

振り返って、自分がひどく影響されやすいことを自覚していた。幼少期なんてそんなものかもしれないけれど、しかし現在の人格が一番影響されているのは西尾維新の「戯言シリーズ」の主人公だったわけで。初めて意識的に読んだ作品なんで、思想的に多大な影響を受けたのは否定できない。

 

ただ、それ以前の人格がどのように形成されたのかは正直よくわからない。昔の自分は今より共感性が低かった気がする。目の前にいる人間の考えていることが理解できなかったのだ。

 

そんなことだから、言わずとも察するという日本人特有の思考回路には疑問を呈する他なかった、なんて思うのも今から見た感想でしかないけれど。とにかく言外の意図を読み取れない。今だってそう得意じゃあないし、意味のない雑談は苦手だ。対面したところで話せることなんて持ち合わせちゃあいないから。

 

自分が何をしたいのかがよくわからない。何をすればいいのかがわからない。小学生の頃、学校の課題で家庭学習ノートを作った記憶がある。一日一ページノートを埋めていくというもので、少なくともそれは中学生の頃まで続いたのだけれど、小学生のときは本当に何を書いていいのかがわからなかった。

そしてそれをそのまま言ってしまうと怒られたか呆れられたか、そんな反応をされた気がする。

当時はそんな学習に対して熱心でもなかったし、正直ろくに勉強しなくとも高校には入れるくらいの成績を取り続けていたのでは、わざわざ学習なんてものをする気にはなれなかったのだ。

 

何をすればいいのかわからない。

座学に関して苦手がほとんどなかった小学生に対して勉強しろと言い続ける意味は無いんじゃねえの。

 

当時は漫画とかもあまり読まなかったし、インプットもアウトプットも少なかった。家庭の事情で夜八時に寝させられた(寝なかったけど)こともあって、ものの見事に空っぽな人格が形成されていた。

 

今だったら奇をてらって家庭学習ノートに小説でも書いてやればいいんじゃないかとは思ったけど。

 

 

ともかく昔は学びに対して消極的だったわけで。自分の中の興味関心がどういう方向に向いていたのかいまいち判断できない。

 

絵は描いていたけど、母親にひどく否定されていたのでやらなかったし。(普通子供が興味からやった行動を否定するかな? 別に犯罪だとか事故の危険があったわけでもなしに)まあ高校生のときにまた始めたんだけど。今更文句は言わせない。

 

自分は学校で教わるより自分で興味を持って学んだことにこそ一番の価値があると考える人間だからこそ、他者を容易に否定すべきではないと考える。

 

否定を繰り返せばそれは人格そのものを無価値と断ずることになりかねないのだから。それをされて損をするのは当人だ。自分がそれを知っている。

 

また、僕は「何かを始めるときには必ずそれに適したタイミングがあり、どこかでそれと対峙する瞬間がある」とも考えている。「思い立ったが吉日」とも似ているが、それよりはすこしパッシブかな。

 

だから、始めるタイミングはどこかで見逃していたのだろう。音楽にしても、剣道にしても、そこまで興味を抱かなかったのも、そういう理由からなのだと思う。

興味を持たないと頑張らないは違うけどね。

 

僕が言いたいのは、誰かが興味を持ったなら、それを安易に否定しないことが大切、ということ。それは誰の為にもならないからね。興味を持つということはその個人にとって道は存在するということ。若いときにそれを意識しないと、僕みたいなつまらない人間になるかもしれない。

 

好きなことくらい、抱えていきなきゃあダメさ。その価値観が人格を形成するんだから。

水道水美味しい。

良いよね、水。

 

ずっと地元の水の味に慣れきっていたせいか、専門学校の頃の仙台市の水道水が口に合わなくて飲めなかった。変な味がするんだよ。結果的に慣れることなく帰ってきたわけだけれど。

 

そんで一人暮らし始めようってなって市内の施設を出たとき、借りている部屋の水道水が飲めない。別に水源が違う訳でもないのにね。単に仙台に居た頃の感覚を思い出して気が引けただけなんだけど。

 

炭酸飲料ばっかり呑んでいるわけにもいかないし、太るしね。そんなんじゃ。果糖ブドウ糖液糖がよくないらしいので、思い立って食生活全体を見直してみようとさっき考えたわけで。

 

ジュース好き早食い過食気味、こんなんでバカみたいだと思っても意思で何とかなるものでもないとは解っているからなあ。

 

水で腹を誤魔化すのは別に抵抗ないけど、腹持ちって点で心許なくないか? どうでもいいけど。

 

今住んでいるアパートの水は多分水道管を直接引いているようだから、まあマシか。学生の時のアパート? はタンクに溜めた水を流すタイプだったようだから。ああいうのは中身が怖いんだよね。何あるかわかんないじゃないか、って思う。

 

 

そして水はいいけど炭酸水は苦手。以前にコンビニで買って飲んだら、不味くて飲み切れなかった。水は水のままがいいと痛感しました。

 

 

思いつきで書いたらあんまし書くことねえや。

執筆速度。

毎日書ければ良いけど、職業作家でもないし本来それほど暇でもないのよね。一日で二千〜五千文字程度の速さでしか書けない。

集中できる環境があれば大分変わるだろうけど、あんまし見当たらないかな。八戸ブックセンターのカンヅメブース(うろ覚え)ってどうなんだろ。八戸市民じゃないけど。

 

行ってはみたいけれど少し億劫。僕の住む街にもあればなとは思うけど、図書館で我慢かな。図書館だと飲み物なしだからな、うーん。

 

リバーシ」の更新を止めて暫く書き溜めをしている。主人公が二人居るような書き方になってるから、二人の世界をどう書き分けるのかが難しい。

 

しかし一回の更新で文字数にして約九千五百文字を追加するけど、やはり遅いと思うなあ。もっと早く書ければ良いけど。

 

紙に書かなくなってるけど、ノートが余るからなあ。どっちにしろデータ化しなけりゃなのだが。