忘れやすい性質の意味。

忘れ物の多い人生でした。

なんてね。人間は忘れる生き物というけれど、僕の場合は少し度が過ぎてるように思える。忘れ物なんてのは学生の頃はよくしていたし、学校で習うことも基本的には興味が無いので憶えることはしなかった。それはそれでどうだっていいんだけれど。

 

人生において重要なファクター、今の人格を形成した出来事が思い出せない。

「捻くれたソリスト」になった理由が解らない。環境的に親の影響が一番強いのだろうことは振り返れば判るのだけれど、決定的な理由とは言い難い。

「一人でいい」でなく、「独りがいい」と思うようになったのはいつだろう。そもそもが人間嫌いだったわけでもなく、幼少期は単なる人間不信だった気がする。

信用できる存在が居ないことは、問題だろう。

 

そんな外れている奴が何で専門学校まで行けたのかというと、やっぱり忘れっぽい性質があったからだろう。まあ、他の生徒とは殆どコミュニケーションを取らなかったから、一人で勝手に学校行ってたくらいの感覚だった。少人数だったし、あそこの講師はある程度信用できたから、学校生活の中では楽しかった方だったな。

一時的に人間嫌いを忘れていたという感じか。

 

やっぱりそこを出てから家に戻るべきじゃあなかったと、後悔したのだけれど。

とにかく母親との反りが合わないから、関わりたくもなかったのに、中途半端に出しゃばってくるものだから苛立ちが募っていた。

 

「忘れやすくとも忘れられない、決定的な出来事」も、母親か多分弟妹のアホな行動のせいだったし、あれは絶対に忘れてはいけないことだなあ。

 

僕にとって忘れることは「興味がない」「必要が無い」「断ち切りたい」と、まあ人間の脳の構造的には多分普通の要因で忘れることが多いのだろうけれど、その記憶も何故か虫食い的で、問題に対して向き合っていないような感じがする。

 

一番の問題は自分自身にしかないんだけれど。

と、自身を責めるのも病気的だなあ。

 

気付けば、忘れるというより無視していると言う方が的確な気もする。都合が悪いことを忘れるのも自然なことだし、傷つかないように生きていくことはできないからこそ、忘れるのだろう。

 

だからもう、家を出たとき、家のことを忘れるというより「切り捨てた」ようだ。いつまでも意識に残すのを嫌がっているから「家に戻らない」という選択をしたと、感じる。

多分、僕はもう実家には戻らないと思う。記憶さえ不必要だし。一応、父親との繋がりはあるし、完全に切れたわけでもないから(時間の問題だろうか、父親も若いとは言えない年齢だし。働いてはいるけど)、そちらの情報は入ってくるけれど。

 

「精神的な孤独」に耐えらえるのは心が強いからではなく、そもそも失うものが無いからという絶無感からきているような気もする。自分本位にならざるを得ないから、自分を大事にするだけで、周りに人がいるとそっちに意識が行くから、それさえも忘れてしまいたいんだ。

 

故に、独りがいい。

 

要らないものをいつまでも手元に抱え込む意味は無いから。

忘れてしまえばいくらか楽なんだ。

 

 

なんか、変な気分になるなあ。こういうの書いてると。

オリキャラのアイディアは止められないのか。

生きているだけでアイディアが出てくるけれど、そればかりあっても仕方ないというか。キャラクターのアイディアがどんどんと増えていく。

メインでもサブでも設定のあるキャラは百人いるかいないかだけれど、名前とアーツスキル(各キャラクターにある固有の能力、異能や霊能、魔術、呪術等々をひっくるめた名称)の設定されているキャラを挙げると五百は居るんじゃないだろうか。

 

作品書いているときにも思いもしないキャラクターが登場することは非常によくあって、作中でストーリーを調整する役割を担ってくれる。

いや、本当に自分でもわからないんだよね。こういうのがどのタイミングで出てくるのかは。気付いたら出てきて喋ってるんだもの。殆ど手癖じゃねーか。

うーん、本当に手癖で巫女装束マニッシュロリなんて書くのだろうか? 性癖出てないかな? おまけにその子のアーツスキルは「幻惑傀儡(アヴァタール)」。幻術系だし。僕は何をされるんだ。

 

とはいえ、自分にとって書きやすいキャラ属性はやっぱりあるだろう。けれど、そこに頼りきりじゃあよくないよねえ。ばらつきというか、バランスというか。そもそも、僕が考えるのは人間ばかりでもないしね。

 

思いついたからには、書かなくちゃいけないと思う。彼らの活きるストーリーを。クリエイター志望のエゴだとしても。

自分の作るキャラクターとの違い。

RebirthIの主人公が自分のどこから生まれてきたのかが正直よくわからない。自分自身を作品に埋め込むような真似はしないからかな。

 

彼はあらゆる問題や困難を「まあいいか」とか「そんなものか」で割り切ってしまうのだけれど、僕にはそれが出来なかったりするので、やはり違うんだな、と思ってしまう。

 

人物のバリエーションが然程多くないけれど、殆どのキャラクターに共通する理念は「自分自身の価値観に沿って判断する」だと思う。この辺りは僕と同じ要素だったな。

その価値観が社会的に見て正しくないとしても、それを押し通す我の強さがキャラクターの根幹になっているかな。

 

「正しくないけど、それでもいい」

 

勿論、それを現実でやってしまうとあっさりと破綻するんだけど、創作だからできる事はあるだろう。

 

「それがただそうであるは、理由にならない」

まあ、実際はこうなるとは思うけれど。常識の欠如している僕だから、二つの理念が存在する(ダブルスタンダード)ことを許せるのだけれど。

まあ、単に意見が変わりやすいだけなんかもな。

 

信念を突き通す物語を書きたいね。少年漫画的に。

時間的な制約。

普段小説を書くときは時間的に余裕が無いので一作品の更新で手一杯な感じ。だからエブリスタでのイベントにはほとんど参加できていない状態だったりする。しかしこのまま進めていっても何も生み出せないと考えてしまった。

正直構想のある作品をすべて形にしたいと思っているのなら、何か違うことをして現状を打破する必要があるような気がする。

 

というわけでイベント用の作品のアイディアを出していこうかなーと考えている途中。

 

アイディアとかいってもタイトル案を出すだけなんだけれども。

一つは「Talkers(仮)」。トーカーズ。この「talk」という単語が個人的に好きだけど、タイトルにあまり凝った言葉を使いたくないというのもあるんだよね。

主人公はとかく弱いのでバトルなしの作品になりそう。でないとトーカーの意味ないしね。

 

とりあえず文字数上限が無いみたいなので(下限というか目安はあるけれど)、好き勝手書いて行こうかねい。

キャラクターも含めたプロットは作り方が解らないけれど。

名前先行型。

キャラクターを考えるとき、まず思いつくのが名前だったりする。現実に存在しない苗字が殆どだけれど、中には実在するものもあったりするが、まあそこはどうでもいい。

名前を考えるときに、その人物の概形を練り上げるような感じ。

キャラの固有能力を考えたときに、キャラのコンセプトが決まる。

実際にそのデザインを考えているときに、性格設定などが決まる。

キャラクターの動きを決めているときに、世界との関わり方が見えてくる。

 

 

本当なら全員が主役のストーリーを考えたいが、時間的に不可能なことは明らかなので、たぶん全員を考えることはできない。

 

この考え方は、何というかカードゲームの考え方に似ているのかも、とも思ったりもする。子供のころはそういったものを集めていたから、ゲーム感覚でキャラの作成を行えているのだと。

まあその頃はあんまし拗らせてはいなかったから、ネーミングが「現実に居てもおかしくない名前」だったのだけれど。RebirthIの白羽仁とかも、その時に生まれたキャラだし。

 

それが変わったのは確実に西尾維新先生の影響なんだよなあ。

しかし真似しようとしても劣化コピーにしかならないから、追従するのはすでに諦めているけれど。

リズムとパズルで音を組み合わせていくのが今の僕のやり方。もしくは既に存在する言葉を違う字で読ませたり。例を挙げるなら「音壊喜漸(おとがい・きぜん)」とか。これが女の子の名前かよ。

 

やりようはいくらでもあるから、ストックばかりが増えていく。デザインすらまともに存在しないキャラがごんごんと積み重なっていくのさ。こえー。

僕が考えるのは人間ばかりではないし(人型ではある)、そこらも結構考えていたり。

 

なんだかんだゲームに毒されてんだよなあ……。

 

無理なものは無理だって。

生活リズムが少しおかしな感じに固定されつつあるのです。

起床が九時あたりになるのは仕方のないことだけれど、それではデイケアの開始時刻に間に合わない。まあ、ギリギリになっても間に合うように起きれるんですけれどね。

就寝時刻が遅くなるのは考え物だ。もともと睡眠時間が長いので、そこを削りたくはないんだけれど、眠れないのはどうしようかと割と真剣に悩んでいるところ。

昔から朝は弱いし。

 

学生の時みたいに六時に起きるとかもう無理よ。

平日の大半は自分の時間には充てられないから深夜まで執筆(?)に時間を割いているのだけれどさあ。遅筆なので思うようには進まないから嫌になるねえ。

 

書くのは嫌じゃないけど。自己証明の手段だし。

 

かといって無闇に書くのはできないけどさ。

生活をそっちの方に傾がせるのは今は無理だけど、いつかはそういう仕事をしたいとは思う。てかそれしかない。

 

なんだろなあ。小さい頃は過剰適応のきらいがあった気がしたけど、なんでかな。無理をしていたから身を置いていられたけど、今はできなくなっている。

無理が出来なくなったってことかな。

 

まあ、いいけどね。

環境を整えるということ。

住所を変えてからおよそ一か月、PCをはじめとした機器を購入して作業環境をおおよそ整えられたという感じ。まあ、完全に作業に集中できるような生活リズムを確立できていないので、暇を見て、って感じですが。

 

正直、もうデイケアに通う意味がなくなっているような気がしないでもないのは、自分の価値観が周囲の価値観とズレているからなのかもしれないね。

 

てーか、九時から十五時って、それだけあれば小説なら何ページ書けるんだよ(別に速筆ではない)。六時間、イラストなら何枚書けるんだよ(だから速筆ではない)。

生活の安定が見られたら就労移行支援の話にもなったけど、興味のない仕事なんてする気になれないしなあ。我儘でも身勝手でもなく単なる見据える方向性のズレなのかもしれないなあ。

 

働く、そりゃあ大事さ。それが人間世界を支える重要な産業なことは知っている。当たり前のようにそれを無価値というわけもないし、頑張っている人には尊敬しかないさ。

解っている。

 

でも。

だからといってそれを僕には押し付けないでほしいんだ。病気であることを言い訳にするつもりはないし、僕自身だって社会に参加したいと望んでいる。

だからこそ、個人の特性に合った生き方をしたいんだ。特に僕は創作方向に偏ってしまっているのだから、折角だし、それを特化したいと思う。願うのは自由だし、それに対して行動を起こすのだって自由だ。

 

だからこそ。

自身に合った環境を作りたいのだ。

 

働きたくないわけじゃない。妥協したくないだけだ。違うことを許してしまう時、人は終わるから。「それでいい」とは絶対に思ってやらない。環境を用意することは、モチベーションを保つため。じわりと自分を追い込むため。

ストイックさではないけれど、「やるしかない」と思った時が始まりだ。少なくとも僕にとっては。

 

 

 

 

 

我儘を言えなきゃ人じゃないよ。