名前先行型。

キャラクターを考えるとき、まず思いつくのが名前だったりする。現実に存在しない苗字が殆どだけれど、中には実在するものもあったりするが、まあそこはどうでもいい。

名前を考えるときに、その人物の概形を練り上げるような感じ。

キャラの固有能力を考えたときに、キャラのコンセプトが決まる。

実際にそのデザインを考えているときに、性格設定などが決まる。

キャラクターの動きを決めているときに、世界との関わり方が見えてくる。

 

 

本当なら全員が主役のストーリーを考えたいが、時間的に不可能なことは明らかなので、たぶん全員を考えることはできない。

 

この考え方は、何というかカードゲームの考え方に似ているのかも、とも思ったりもする。子供のころはそういったものを集めていたから、ゲーム感覚でキャラの作成を行えているのだと。

まあその頃はあんまし拗らせてはいなかったから、ネーミングが「現実に居てもおかしくない名前」だったのだけれど。RebirthIの白羽仁とかも、その時に生まれたキャラだし。

 

それが変わったのは確実に西尾維新先生の影響なんだよなあ。

しかし真似しようとしても劣化コピーにしかならないから、追従するのはすでに諦めているけれど。

リズムとパズルで音を組み合わせていくのが今の僕のやり方。もしくは既に存在する言葉を違う字で読ませたり。例を挙げるなら「音壊喜漸(おとがい・きぜん)」とか。これが女の子の名前かよ。

 

やりようはいくらでもあるから、ストックばかりが増えていく。デザインすらまともに存在しないキャラがごんごんと積み重なっていくのさ。こえー。

僕が考えるのは人間ばかりではないし(人型ではある)、そこらも結構考えていたり。

 

なんだかんだゲームに毒されてんだよなあ……。

 

無理なものは無理だって。

生活リズムが少しおかしな感じに固定されつつあるのです。

起床が九時あたりになるのは仕方のないことだけれど、それではデイケアの開始時刻に間に合わない。まあ、ギリギリになっても間に合うように起きれるんですけれどね。

就寝時刻が遅くなるのは考え物だ。もともと睡眠時間が長いので、そこを削りたくはないんだけれど、眠れないのはどうしようかと割と真剣に悩んでいるところ。

昔から朝は弱いし。

 

学生の時みたいに六時に起きるとかもう無理よ。

平日の大半は自分の時間には充てられないから深夜まで執筆(?)に時間を割いているのだけれどさあ。遅筆なので思うようには進まないから嫌になるねえ。

 

書くのは嫌じゃないけど。自己証明の手段だし。

 

かといって無闇に書くのはできないけどさ。

生活をそっちの方に傾がせるのは今は無理だけど、いつかはそういう仕事をしたいとは思う。てかそれしかない。

 

なんだろなあ。小さい頃は過剰適応のきらいがあった気がしたけど、なんでかな。無理をしていたから身を置いていられたけど、今はできなくなっている。

無理が出来なくなったってことかな。

 

まあ、いいけどね。

環境を整えるということ。

住所を変えてからおよそ一か月、PCをはじめとした機器を購入して作業環境をおおよそ整えられたという感じ。まあ、完全に作業に集中できるような生活リズムを確立できていないので、暇を見て、って感じですが。

 

正直、もうデイケアに通う意味がなくなっているような気がしないでもないのは、自分の価値観が周囲の価値観とズレているからなのかもしれないね。

 

てーか、九時から十五時って、それだけあれば小説なら何ページ書けるんだよ(別に速筆ではない)。六時間、イラストなら何枚書けるんだよ(だから速筆ではない)。

生活の安定が見られたら就労移行支援の話にもなったけど、興味のない仕事なんてする気になれないしなあ。我儘でも身勝手でもなく単なる見据える方向性のズレなのかもしれないなあ。

 

働く、そりゃあ大事さ。それが人間世界を支える重要な産業なことは知っている。当たり前のようにそれを無価値というわけもないし、頑張っている人には尊敬しかないさ。

解っている。

 

でも。

だからといってそれを僕には押し付けないでほしいんだ。病気であることを言い訳にするつもりはないし、僕自身だって社会に参加したいと望んでいる。

だからこそ、個人の特性に合った生き方をしたいんだ。特に僕は創作方向に偏ってしまっているのだから、折角だし、それを特化したいと思う。願うのは自由だし、それに対して行動を起こすのだって自由だ。

 

だからこそ。

自身に合った環境を作りたいのだ。

 

働きたくないわけじゃない。妥協したくないだけだ。違うことを許してしまう時、人は終わるから。「それでいい」とは絶対に思ってやらない。環境を用意することは、モチベーションを保つため。じわりと自分を追い込むため。

ストイックさではないけれど、「やるしかない」と思った時が始まりだ。少なくとも僕にとっては。

 

 

 

 

 

我儘を言えなきゃ人じゃないよ。

タイトルが無いと内容が固まらない。

書きたいと思う作品の大体がタイトル先行型。そうでないと作品の指針が定まらない。まあアイディアがあるからってそれを全部かたちにできる時間があるわけでもないのだけれど。

とりあえず書きたいなーって思っている作品の概要は作ってある。今の生活じゃあ到底できないのだけれども。

一ヶ月くらい丸々休みにでもしないと時間が足りないのだ。今書いているものにしても一話書くのに一年以上(実際はもっと長い)書けているのだから、遅筆なのは認めざるを得ない。

素早く書けるかっていうと時間があろうが無かろうがたいして変わりやしないけれどね。

ばああああ。

RebirthIの更新が現在停止中。少し生活環境の変化で書く時間が減ってきている。週に十ページのペースが乱れてしまっている。

ノートに書いているのをWordに打ち込んでそれをコピペするような形で進めていたけれど、ちょっと面倒臭くなってきた。しかしもう染み着いてしまったスタイルを今更変えるのもどうなんだろうなあ。

書いても誰も読んでくれないのは仕方ないからと割り切れるけど、それでも自分のやりたいことを阻害されるのは我慢ならない。ていうか気持ち悪い。

ま、言ってるうちに時間は過ぎていくものなのだけれど。

宣伝とかしち面倒。

更新するたびに宣伝とかはしないようになって、割と自己満足な作品になりかけている。

いいんだよ、別にさ。

発表してる以上は確かに誰かに見てもらいたいし、批評を受けたいとも思うけれど、だからって必要以上に喧伝する必要もないのかな、とは思うんだ。

エブリスタでのサークルでの宣伝とか見てると、あんな程度のアオリ文じゃ読む気になんてなれないし、そんなことを自分でしていたのかと考えると、自己嫌悪が苛んでくる。

死ねるわ。

だからやめた。宣伝はするだけ不毛だし、さ。結局はそんなもの、あってもなくても同じだったからね。

自分の作品が誰かより優れてるとか、そんな阿呆なことは考えちゃいないし、まだまだ素人の域から出ていないのであれば、くだらない宣伝よりも自分の実力を伸ばすべきだと思うよ、個人的には。

宣伝してない作品に、面白い作品がある。断言はしないけど。すこし、無頓着なくらいでいいんじゃないかな。

 

自身の作品を宣伝するより、面白いと思った他者の作品を紹介するくらいのものでいいと思うのさ。自分が自分がではなく、これが面白いよ、と紹介されたい、つまり「認められる」経験の方が嬉しいのは僕だけかな。

 

なんて思うままに書き出してみる。つまりは価値があるものは自身で押し出すまでもなく認められるような世界がいいってことさね。

放置しすぎた。

なんていうか、暫く忘れていたよ……。

ここをほったらかしている間に書いている小説が二話目に進んでいるし。

書きたい話が色々と溜まってきていてその整理作業にも追われている。構想ばっかあってもねえ。

書きたくて堪らないのだから仕方ないのかもしれないけれど。

何であれ、熱中できるっていいよね。ねえ?

 

僕の中にあるもの全部吐き出して死んでいけたらいいなあと思う。そういう道筋をつけて見たら、死にたいと思っていた心持ちが大きく変わってきていて、楽になった。

精神的にね。

生きること自体は楽ではないから、そこは気分の問題だけれど。

 

今年は環境が大きく変わる年になると思うので、ネット上で何か出来るかも知れません。楽しみだな、にひひ。

自己満足でも生きていけるのさ。

意味なんて無くてもいい

この世界の大概の事に意味なんて無いんだから。

 

なんて。

小説作品に意味を持たせようとして失敗した人の言い訳かな、これ。別に大したことはしていないし、どうしようもないことを頑張っても駄目だよね。

考えることをやっていると定期的にこんな思考に陥るので、やや困っています。

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意味もなく落描いてみたり。