ふと聴きたくなる。

高校生の頃にラジオから流れた楽曲が気に入って、その曲のクリエイターを見ていたのだけれど、最近は全然曲を出してなくてうぎーってなってる。

 

学生の時は頻繁に聴いていたから、今でも思い出したように聴いている。時期的には米津玄師(当時はまだハチ名義)を知るより前の事だったと記憶している。

 

声も音の重ね方も好みだったから、一回聴いてハマったなあ。

 

アキタノブオという方だけれど、知っている人は周囲には居ない。学生の時はまだフィーチャーフォンだったから、着うたフルでダウンロードしていたっけ。懐かしい。

 

その後、一度ネットから離れていたから、その間に何かあったのか、知らんけど、地元に戻ってから一度だけラジオに出演していたのを偶然聴いたことがあった。

 

そこから先のことはよくわからない。

僕にはただ待つことしか出来ないんだよね。

 

新曲出してくんないかなぁ……。

小説書くの楽しいからやめられないんだ。

結局、作品の構成を見直すことにしたわけで。

RebirthIの長さが冗長になりすぎてしまったから、それぞれを独立した話にしないと読みにくくて仕方ない。

もともと、一ページ千文字制限のもとで書いていたものだから、それを利用した書き方になっていたんだよねえ。

その制限が無くなったのなら、そこに拘泥する意味はもう無いのだ。

 

初めは「空の境界」のような複数話をまとめるかたちを目指していたけれど、分量を考えれば、分けて書いたほうが良いようだ。

何度もリライトしていると、初期の頃の衝動的な表現が消えていくのが残念な感じだと分かる。

正直、初期のアカウントで載っけていたのを読み返すと、結構勢いがあって読みやすいんだ。

基礎的な語彙力は今の方がいくらか上だろうとは思うけれど、勢いというかなんというか、何かが足りないように見える。

だからといって今更変えるわけにもいかないけどね。

 

新人賞応募用の原稿を書き上げたばかりだけど、次の作品を既に書き始めていたり。

取り敢えずは数を重ねていかないとなー。

蒼空の終焉線は使い捨ての作品にしたくないけど……。

エブリスタがリニューアルしたけどさ。

少し前にエブリスタがシステムを大きく変えたわけで。まあ、メンテ明けはエラーを出しまくって大変だったね。

今は大分落ち着いているけれど、仕様がかなり変更されているので、未だに使い方に迷っているところ。

 

小説のエディタが無茶苦茶に使いにくい。リニューアル前の新エディタ(ページ単位でなく一括で編集できる形のもの)を期待していたのに、何なんアレ? 結果的には一ページの文字数が増えただけって、意味ねえな。

とはいえ、僕の小説の場合は一つのエピソードで百ページ以上あるから、まあどっちにしろ変わらないけど。

一括で編集できないのが手間なだけだからね。文字数制限が緩和されれば充分だったよ。

 

イラスト投稿機能は大分縮小されちゃって、まあ元からそこまで活発でもない印象だったし関係ないかな。正直イラストならpixivがあるものね。

 

エディタが他の投稿サイトと似た感じになったような気がするのはやや残念かな? 機能性を追求すればどうしたって似たような形に落ち着くんだろうけど。

 

そんな事でエブリスタ辞めるなんてことはないけどね。楽しいから。

やりたい事ができる場所があるって良いことだねえ。

 

取り敢えずは新しい形に慣れていくことからだね。

思考することが増えてきたのはいつだろう。

恐らく統合失調症と診断されてからの七年間の方が色々なことを考えていると、自分では思うんだ。

それまでの僕があまりに幼稚すぎたのだろう、それとも人生そのものを楽観的に捉えすぎていたのか、目の前の事象に対してさえ、思うことが無かった。

記憶の中にある行動の記録をなぞり直しても、そこに自身の思考による行動があまりに少ないことに気付いた。

 

要するに主体性が無かったと考えられるんだね。

 

明確に自分の意思を行動基準の上位に持ってこれたのは、統合失調症になって暇を持て余したあたりからだった。そのころには本を読んだりして、漸くそれなりの思考に耐えうる知識量を身に着けていたのだ。

 

高校一年の頃、ある時点でアンケートを取られたことがある。そこに書かれた質問の一つに「どこへ行きたい」というものがあって、僕は意味が解らず「どこへでも」という謎の回答をしたんだよね。

当然怒られた。どうやらその質問、進路について訊いていたらしく、進学先の希望を求めていたのがその時に判った。

正直なんも考えずに書いていたし、その頃は進路について明確なビジョンなんてものが無かったものだから、めんどくせーなーとしか思わなかった。

後から考えれば質問の仕方が悪いことに気付いたんだけど、あのハゲはそこに気付かなかったんだろう。今言ってもしゃあないけど。

最初から「希望する進路は」って書いとけクソが、そう思ってもどうせその時の僕にはそれに対する回答なんてものは持ち合わせてなかったんだけどさ。

 

僕は割と場当たり的に現実に対処するものだから、そのままでいたらジリ貧になっていつか破綻することは目に見えていたんだ。

クリエイターを目指すと考えても、その時は曖昧で茫洋とした将来が考えられずになんとなーく絵を描いてなんとなーく遊んでいただけだから、結果誰にも理解しえない誰かでしかない。

 

思考すること自体が自分自身の証明である。

 

使い古された言葉を実感したのは、結果大人と呼ばれる年齢になってからなんだね。

考えることが多いのはあったけれど、それをカタチにしようとしたのが「小説」という形態で作品を考え始めたころだったんだよね。まあそれ以前の思考は明確なストーリーのイメージが無いただの空想だから、それこそ考えて終わりなジャンクパーツのような思考の欠片でしかなく。

統合された作品としての構想を練り始めたのは専門学校の終わりごろ、エブリスタに作品を投稿し始めた辺りだった。

 

正直コミュ障の僕に普通の環境で働くことが難しかったから、一人で完結する同人作家というのは向いているのかとも思っていたけど、そうもいかないのはまあお約束だね。

最初、自分では対人恐怖症だと思っていたのだけれど、親に話したら一笑に付された。「最悪だなおまえ」本気でそう思った。そうでないと言い切るのなら、一体僕の何を見ていたんだと詰りたい。

面倒だからしないけど。うちの母親って認知バイアスかかってるし、言うだけ無駄かな。僕からしても言動がやや異常だし。

 

例を挙げると、実家に猫がいたけど、その猫をボックスに閉じ込めて放置して、小便漏らしてしまうのを叱るとかいう頭の悪い行動さらすんだ。わけわからん。

他にも「生まれて一年の猫は一歳の人間の子供と同じ」とか意味不明としか言えない持論を展開したこともあったっけ。ちょっと頭の程度を疑うよ。

知識不足って怖いねー。何のためにPC持ってんだよアホか。

 

そういうことを考え始めたのも、地元に帰ってきてからなんよなー。

いろんな意味でポンコツな僕が出来ることはもう限られているから、そこを目指すしかないのよね。考えた結果、そんな風な結論に至ったわけで。

 

 

目標は、「なるべく早いうちにプロ作家になる」かな。

こうやって追い込んだ方が良い気がするから、書いてしまうよ。

 

 

 

 

個人サークル「ろくしきボックス」を立ち上げたばっかなんだけどなあ……。

Kindleで小説販売したので。

一昨日にAmazonKindle本ストアにて自作小説「レプリカント」を販売開始させていただきました。

 

アップロードしたのが午前三時頃だったけれど、ストアに並んだのがその日の昼頃だってのが驚きだったよ。もっとかかるかと思ってたからね。

 

分量はおよそ八万文字。ジャンルはライトノベル式神を扱う術師が主人公です。

 

やっとここに来れたなあと感じていますが、しかしこれは単に始まりに過ぎないことはわかっているので、これからがんばるよー。

 

サークル「ろくしきボックス」として動いていこうと思っているので、楽しみ。

 

というかもう次の話を書きたくてウズウズしているんだけどね。

動画とか作ってみて。

せっかく環境があるのだから、試してみないと勿体ないよね。と軽くYouTubeで動画を投稿してみたりする。

 

もちろんのこと初心者なので、あまり凝った編集はできないのだから、まあシンプルにしたものを投げている。

 

音楽とお絵描きを中心にしようかと考えていて、どちらもこれから増やしていきたい。

しかしなあ、動画編集ソフトが使いにくい。冗長な動画が嫌いなので、イラストの動画は三分くらいに縮めるのだけど、ソフトに倍速再生は無く、動画そのものをストレッチする機能だ。

この機能、最大で再生時間を25%まで縮められるけれど、ドローイングの撮影時間が長いと一時間ほどになるので、それを三分まで縮めるなら複数回書き出さないといけないのだ。

 

 

面倒くせえ。

まあ、自分で選んで買ったんだから、仕方ないのかな。

楽しいけどね、動画作るの。

可能性と限界。

イラストを描くことに関して、自分の能力がほぼ頭打ちになったような気がしてきた。これ以上は画風の変化があっても、根本的に画力は改善できないかもしれないと思い始めているのだ。

 

そもそもが平均より低い位置から始めているのだから、頂点というものも低いのだろう。限界点を見極めることができたと言えるのかもしれない。

本当に絵のうまい人なんてものはそこいらじゅうに腐るほど溢れている。僕より年齢の低い人で巧い人はいくらでも見つけられる。

 

じゃあその中で腐らずに何ができるのかを考えなくてはならないだろう。

所謂「戦略」というものか。

 

能力そのものの伸びが鈍くなってしまっているなら、別の能力を伸ばせばいい。もう若いとは言えない年齢なのだから、限界を冷静に理解することが肝要だろう。

スランプか限界かは感覚で判る。

 

学生の頃は今より未熟だったのは当然だけれども、卒業した後も実際のところ画力自体は伸び続けていたのだ。学生期のイラストと比べればそれは瞭然だ。ただ、それは技術の熟達を意味しないことも知っている。

 

根本の能力と付随する技術の差が明らかにズレているのが自身の作品に漂う安っぽさの原因になっているように思えるのだ。

 

イラストは能力でも技術でもなく技能だ。両方が無ければ成立しない。それがもう伸びないのであれば、別の道を選ぶしかない。

もともと漫画の描き方を習っていたこともあり、イラストといっても一枚絵は苦手だ。独学で進めている小説の要素が混ざり、コマ割りをした絵になることが多くなってきている。

 

元々がストーリーありきで書かれることが多い。最初からそれが前提条件だと自覚している。つまり、設定を裏に作るために一枚では意味の伝わらない絵であることが多いのだろう。

 

漫画を描けよ、と思われるだろうか。しかし、それさえ僕には不可能だったのだが。フィールドを小説に移したのも、自分の描きたいことを最大限自由に描くためのことだから、それ以上にうってつけのメディアがあるのならそっちに移るだろう。

 

アイディア。自分の中に渦巻く混沌から何かを掬い上げればそれは何かの形をとっている。それを最適化することを考えることが多くなった。それさえも自身の能力を最適化するプロセスなのだ。

 

限界を見てしまった以上、そこから派生する能力を伸ばせばいい。ただそれだけのことで、天才といわれる人間たちができる一点突破は凡人にはできないのだから、そういうものを分けて考えるのが当たり前ではないだろうか。

 

無限の可能性、才能の限界。どちらも僕にとっては残酷だ。

 

結果、器用貧乏だからね。

楽しいから止めないんだけれど、それでも向上心は人並みにはある筈だ。